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小田内隆

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私の専門分野はヨーロッパ中世史です。実際に、研究者として取り組んできたのは、この歴史の中でキリスト教が果してきた役割とは何かという問題ですが、それを主として「異端」というというプリズムをつうじて見てきました。この分野を学び始めた頃からよく友人などから、どうしてそんなに遠くて、古い時代に興味があるのかといった質問を受けてきました。もちろん、現在では研究者として公式的説明はそれなりにもっていますが、初学者の皆さんに私の「理論」を話してもあまり参考にならないでしょう。ここでは正直に実際に歴史を専門に選ぶにいたった経緯を白状しましょう。

それは一言でいえば、たまたまそういう結果になってしまったということです。幼いころから現在まで、他にやりたかったこと、やりたいことはじつはいくつかあり、そういう数ある選択肢のなかで「歴史」を選んだのは最終的には「偶然」だったと思います。幼いころ父親の机の上にあった古い時代や外国の物語の本を眺めては、想像もつかない事柄に飽きもせず質問して困らせたり、誰でも経験があるかもしれませんがいろいろなガラクタを集めて密かなコレクションを作ることに熱中したり、とにかく珍しいものが好きであるという性癖はあったようですが、それがとくに「歴史」に向かったわけではありません。

私の場合、高校から大学にかけてたまたま出会った本のなかで、最初にインパクトがあった本が歴史物だったことが、大きかったようです。決定的だったのは、1974年に出版された阿部謹也著の『ハーメルンの笛吹き男』という本でした。大学2年生のときです。そのなかに、こういう一節がありました。著者の阿部さんがドイツに留学中、中世後期の東方植民関係の文献を調べていたところ、たまたま「鼠取り男」という文字が目にとまり、さらに自分が研究していた「ザクセン地方に<ハーメルンの笛吹き男>に引きつられた子供たちが入植した可能性がある」という一文をみて、「その瞬間、私の背筋を何かが電気のように走るのを感じた」、と。幼年期に読んだおとぎ話の「ハーメルンの笛吹き男」と自分の研究とが思いもかけぬ形で出会い、「電気のようにスパーク」してまったく新しい視野が開けたのです。詳しくは是非この本を手にとって読んでいただきたいのですが、この読書体験をきっかけに、私は過去の見慣れない世界の中に自分たちの現在を照らし出す思わぬ「スパーク」があるのではないかと、歴史の研究に惹きつけられたと思っています。

ここで「偶然」といったのは、むしろ「出会い」といったほうが正確かもしれません。大学では、「過去」との出会いによって「現在」を見る眼からうろこがおちる −− 「はっとする」 −− そうした「歴史体験」を持てることを期待しています。知識としての歴史はやがて忘れてしまうかもしれませんが、「歴史体験」が与えてくれるこうした「知ることの喜び」は一生の財産になるのではないかと思うからです。

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