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高橋秀寿

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私が歴史に興味を持ったのは中学のころからでした。活字を読むことが大嫌いだった私は、マンガで読む日本史といった本を読みながら、戦国時代や明治維新期の歴史物語にロマンを感じていました。高校時代の世界史の授業を通じてヨーロッパの歴史に興味も抱きましたが、一番の愛読書はニーチェの『ツァラトゥストラ』でした。意味などさっぱりわからないのに、「めざめよ」とか、「君の孤独の中へ」などといったフレーズにしびれていました。なんともミーハーな読み方をしていたものです。大学は哲学科に入ろうとも考えましたが、難しいことはあまり性にあわないと思い、西洋史学専攻を選びました。大学時代はまじめに勉強しなかったのですが、大学院に進学しても、自分が研究していることと自分自身との間に深い溝のようなものをいつも感じていました。研究対象としての過去と研究している自分の現在とがしっくり結びついていなかったのです。

その溝が浅くなり、楽しく勉強できるようになったきっかけは、大学院を修了したのちにドイツで体験した留学生活でした。そのとき、ベルリンの壁の崩壊とドイツ統一という歴史的事件を体験することができたのです。ベルリンの壁によじ登り、革命最中の東欧諸国を旅行しました。総選挙の政治演説会で暗殺未遂事件に遭遇し、血だらけの首相候補を目撃してしまったこともありました。統一前夜におけるベルリンでの反統一デモでは、機動隊のこん棒の餌食になりかけました。反湾岸戦争デモにも参加し、ここでは反戦歌を歌い、ドイツ人の反戦意識を実感しました。デモだけではなく、ワールドカップのイタリア大会での優勝の時には、愛国的な歓喜の渦にも巻き込まれました。昭和天皇の死を、今度は渦に巻き込まれることなく、外から観察することができました。小さな宗教団体や「ゲイ・サウナ」にもぐりこんだこともあります。反外国人政策を訴える極右集団の集会には、足がすくんでもぐりこめませんでしたが…。そしてそれらの出来事について多くの友人やゼミの仲間、指導教官、そして旅先で出会った人たちと頻繁に議論することができました。このように、自分の生まれ育った環境から離れ、外国人としてこれらの出来事を体験することによって、私は自分が生きている現在がいったいどういう時代であるのかを考えていったのです。「現代」はそれまでの近代社会とは異なる特質と課題を持っているのではないのか、この「現代」はいつから現代は始まるのか、その時代にあって政治はどうあるべきなのか—— このテーマを携えて帰国し、数年後、ドイツ現代社会にいたる歴史的変遷を題材にしてそれを一冊の本にまとめました。いまでも、異なった観点からですが、このテーマを追求しています。そして、ドイツ滞在が二年半にわたる長い「旅」だったように、日本に住みながらも、私はその日常をいつも「旅」していくように心がけています。

私はゼミで、自分の体験やそれによって培われた感性や考えを大事にして歴史を勉強し、卒論のテーマを選ぶことが重要であることを言いつづけています。自分はどんな時代に生きているのか、その時代の中で自分はいったい何ものなのか、自分が抱えている関心や問題、悩みは、その時代とどのようにかかわっているのか——過去のことをけっして過去のこととしてだけ学ぶのではなく、このような問題を自分の体験や感性、考えに基づいて過去を通して考えていくことが大切なのだ、と。歴史とは過去を題材にして現在を考察することです。一緒に日常を「旅」しながら、歴史を学び、そして現在について考えてみませんか?

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